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ク ラ ブ 誕 生 の 経 緯

 敗戦のどさくさから模索の時代がつづいた昭和22年の春ごろ、大分市で誰が呼びかけるでもなく月1回程懇談するグループが生れた。その名は自由懇話会、メンバーは首藤定、後藤和夫、小手川碩の諸氏のほか上田大分市長、細田知事や別府から岡本忠夫、大谷光瑞氏など、回を重ねるごとに各界の有志が集っていた。
一方別府にも亀の井ホテルのロビーに集う木曜会(佐藤敬画伯、高安慎一、八田秋、畑義雄、宮岡謙二氏など)があった。この木曜会に大阪R.Cのチャーターメンバーの星野行則氏がときどき姿をみせていた。星野氏は亀の丼ホテルの古い株主の一人で、大の別府びいき、年に2,3回は静養に来別そのたびに木曜会のメンバーにロータリーの理念を説きながら「別府は世界的な温泉都市だ、ロータリークラブをつくるべきだ」と熱心にその設立をすすめていた。
 戦後国内の大都市でも徐々にロータリークラブが復活しはじめた。しかし当時の別府では単独でロータリーを受け入れる環境ではなかった。大分の自由談話会のリーダーであった首藤定氏は旧満州国の大 連で商工会議所の会頭で大連R.Cの会長をつとめたことがあり、大分、別府ではロータリアンの前歴をもったただ−人の人だった。
 そこで星野氏の「大分、別府両市合同のクラブをつくっては……」という熱心なすすめ、それに首藤氏の奔走に自由懇話会のメンバーも呼応し、大分、別府R.C設立が具体化したのである。いわば大分R.Cの母体は自由懇話会と別府の木曜会であり、星野、首藤の両氏が生みの親 といってよかろう。

発起人会に引続き創立総会
正式に大分ロータリークラブ誕生

このようにして大分、別府R.C設立発起人総会が昭和25年11月6日大分市桜町クラブで開くことにまでこぎつけた。

発起人は、

後藤 三郎  藤井 文雄  野上 実   八田 秋

平田穰太郎  大津 和夫  鷹野 孝徳  後藤 和夫

高安 慎一  岡本 忠夫  後藤 肇   首藤 定

増井 光蔵  松岡 能秀  宮岡 謙二  脇 鉄一

佐藤 恒彦  一丸伍兵衛  吉野 淑計  玉井 俊三

北尾 義人  古本 春蔵  高山 通男

 の23名で、星野行則氏も82歳の老躯をひっさげ特別代表としてわざわざ出席し、国際R.Cの起源、性格、 目的など詳細な説明を行い、創立手続きなど懇切な指導助言をしてくれた。
 引続いて同年12月14日承認前の初例会を開いた。

会 長  後藤 三郎

副会長  藤井 文男

幹 事  首藤 定

理 事  後藤 三郎 鷹野 孝徳 首藤 定 藤井 文雄 一丸伍兵衛 高山 通男 宮岡 謙二

 以上の役員を選任、例会は毎週木曜日、会場を桜町クラブときめた。この初例会が大分R.Cの事実上の創立日となったのである。
 12月28日の2回目の例会で、回の名称を「大分、別府ロータリークラブ」と満場一致で決定。続く昭和26年1月18日の例会では加盟料100弗(36,000円)を添付し、大阪R.Cをスポンサーに国際本部に届け出ることにした。ところがこの申請に対し、手島知健ガバナーから、国際本部の意向として、“大分、別府両市にまたがってクラブをつくることは将来の発展上見合わせよ”という指示があり、協議の結果、会名を“大分ロータリークラブ”とし、別府は将来分離独立する含みで申請をやりかえた。

その結果、昭和26年4月23日に正式に承認をみた。チャーター番号は7767で、日本では56番目に承認されたクラブとなった。(第60区ガバナー手島知健)

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