HOME サイトマップ メール
クラブ概要
会員紹介
大分RC歴史散歩
週報
リンク集
動画
会長の時間
 
会長の時間 バックナンバー
2025.03.25 会長の時間
山本会長
LA-SF Lagna Seca

Carmelの街はずれの怪しげなモーテルに$50もボラれて?次の朝です。

昨日新聞で見つけたLagna Secaのクラッシックカーレースを見に行くことにします。近くのデリで朝食を済ませロードマップで探してLagna Secaのレースコースに着きました。

日本を出るときCaliforniaの自動車博物館でも行きたいと思い調べていたのですが、見つけ出すことが出来きず諦めていたので、旧車のコンクールやレースがあるなど予想も期待もしていませんでした。予定も行程も決めずLAからSFまで1週間で着けばよいとの放浪旅でしたのに、タマタマ差し掛かったカーメルの街でその日に本物のクラッシックカーのレースに遭遇するなんて、神様が車好きの僕にご褒美をくれたとしか思えません。

憧れのLagna Secaは古いレース場で小高い丘を周回する小さなコースですが、今はクラッシックの名車のレースが毎年開催されるアメリカでは有名なレース場です。そこではミュージアムか車雑誌でしか見られないような貴重なフェラーリやアストンマーティンジャグアロータスといった旧いクラッシックの名車が轟音を立てて走り回っている、正に夢のような場所でした。1960年代のフェラーリ250GTOという世界に35台しかないと言われる憧れの名車を、スターリングモスというこれまた何度もF1チャンピオンに輝く栄光のスターがドライブして、本気でレースを楽しんでいるというビッグイベントでした。興奮と感動でまさに夢のような光景でした。こんな1年に1度のビッグイベントに偶然めぐり合わせたなんて、僕の生涯の中では10億円の宝くじに当たったより嬉しい出来事でした。日頃の行いが良かったのできっと神様がご褒美をくれたのでしょう。そうとしか思えません。

Lagna Seca Old car Race Eventは50年代から72年までのクラッシックカーやスポーツカーが、カテゴリーごとに順番にコースを3~4周するというマニアの楽しむイベントで、本物のレースではないが皆結構本気になって走るので見ている方もハラハラしながら興奮してくるものであります。

フェラーリ250GTOなどは現在のオークションで70億円もする貴重な骨董品のような車です。そんな車を事故で壊したらどうするの~~と思うのは貧乏人の考えで、古い車でもその当時と同じように走らなければ価値が無いとばかりに走らせて楽しんでいるのが本物のお金持ちらしいです。

僕らが見たその日のレースではフェラーリ250GTOがなんと3台も一緒に走っていました。パドックにはFerrariメーカーの大きなサービストレーラーがあって整備をしていました。さすがお金持ちの桁が違うと思い知らされました。

ほぼ1日レースを堪能してSFに向かいました。ゴールデンゲートブリッジを渡って海辺の小さなレストランで食べたイタリア料理はとっても美味しかった。SFは何度も写真で見ていたし、スティーブマックイーンの映画Bulletであの坂道をモスグリーンのMustang GTでカーチェイスする場面を思い出しながら走ってみました。僕らのニッサン230SXではとてもあんな走りはマネ出来なかったですが、坂の上から見るSan Francisco湾はとてもきれいで、写真で見慣れていたせいか故郷に帰ったような気持でした。

旅も2週間の終わりに近づいて英語にも慣れてきたし、最初はぎくしゃくしていた息子とも仲の良い親子になっていたので、SFでは2泊して街を歩き回りました。そしてアメリカでの最後の日、空港でレンタカーを返し搭乗ゲートに行きました。窓口には人があふれ長い行列が出来ていて、やっとカウンターまでついてチケットを出すと、この飛行機はキャンセルになったので飛ばない。と告げられます。エッツ! 何で?
その前日湾岸戦争が始まってアメリカの兵員輸送のため民間機も徴用されたのだと言います。1990年8月イラクがクエートを侵略した湾岸戦争の始まりでした。そんなことを言われても困る、どうしても帰らなくてはならないと粘っていると、しばらくキーボードをたたいていた係の人がHawaii経由でJALで成田へ行く便が取れたと、チケットとハワイのホテルの宿泊券を渡してくれました。出発はPM16:00。空港で6時間ほど待ってやっと帰路に就くことが出来ました。ただ、日本に帰って荷物を整理していると旅行中に撮った8㎜VTRのテープが1本無い、空港で待つ間に誰かに持って行かれたらしい、紙袋に入れていたお土産の衣類も一緒に無くなっていましたLagnaSecaのFerrariの走りっぷりが入っていたのにそれだけが残念です。

8月中旬から約2週間かけて長男と2人での放浪の旅は僕にとっても、息子にとっても人生の大きな転機になりました。登校拒否のような状態だった息子も2学期から元気に学校に行き、その後浪人はしたが大学に入り、今は張り切って歯科医の仕事をしています。僕もゴルフと飲みごとで夜更けの帰宅が当たり前だった生活にピリオドを打ち、仕事に専念するようになりました。

考えてみれば息子の登校拒否も、僕の生活態度に責任があったのかも知れません。中学に入ったころからゆっくり話をする時間もなかったから、息子の内面のストレスも理解できなかったのだと思います。

旅の初めは不平や不満を口にしていて、打ち解けて話も出来なかったのですが、2人きりの異国の2週間はお互い助け合わねば上手くいかないことも分かって、息子も小さい頃の素直な子に戻って旅の終わり頃はほんとに穏やかな顔になって嬉しかったです。思春期の子供は色々と難しいですが、親が心を開いて対応してやれば道を踏み外さずに成長して行くのだと親として深く反省させられた旅でした。

▲このページの上に戻る
Copyright(c)2006 OITA ROTARY CLUB,All Rights Reserved.