アメリカ旅行 1
僕には息子が二人います。長男は子供のころから身体が弱く、喘息やアトピーで悩まされていました。水泳やサッカーなどで少しずつ身体は良くなっていましたが、上野丘高校の2年生の頃からまたアトピーがひどくなり学校も休みがちになって夏休みの頃には学校を辞めたいと言うようになりました。僕も開業して10数年を経て歯科治療や業界の矛盾に疑問を感じ、大分を離れて大都市に移転しようかと悩んでいた時でした。夏休みの補習にも行きたくないと言うので、ではお父さんとアメリカに行くか? と問うと、行くというので父子二人でアメリカ旅行をすることにしました。我が家では子供達がまだ小学校の頃から毎週末にアメリカ人やカナダ人の若いAETの先生達を呼んで家族で英会話を習っていたので旅行も何とかなるだろうと、自分でホテルやレンタカー、飛行機の予約をして8月の半ばから2週間ほどのアメリカの旅をしました。成田からサンフランシスコへ飛び、国内線で翌日New Yorkに着きました。
その頃、我が家の英会話教師はAndrea Levyというアメリカ人女性でした。そのAndrea嬢のご両親はNew Yorkに住んでいたのでそこへ訪ねて行き、マンハッタンの5番街近くのホテルを紹介してもらい、そこに3泊してバスや地下鉄を乗り継いで街を散策したり美術館巡りをしながら二人で過ごしました。お決まりのエンパイアステートビルや後に9.11テロ事件で破壊されたワールドトレードセンタービルにも登りました。観光案内で遊覧ヘリを見つけ、それに乗って自由の女神像を空から見たり、マンハッタン島を一周する観光フェリーで海から摩天楼を眺めたりしてゆったり過ごしました。
ウォールストリートやビジネス街を歩くNew Yorkerの足の速さに圧倒されましたが、夜の街のチョット裏手に入ると浮浪者がウロウロしていて怖い思いもしました。
金曜日の夜、Andrea嬢のご両親から郊外の別荘で週末を過ごそうとお誘いを受け、ご両親とお婆ちゃんと5人でハイウェイを2時間ほど走りマンハッタンから北の方にある別荘に着きました。小さなカントリーハウスを想像していた僕らは深い森に囲まれたビクトリア王朝風の立派な邸宅にビックリしました。周囲の森は見渡す限り自分の敷地で18エーカーほどあると言います。ちょっとした日本の団地位の広さでしょうか。
彼J.Levy氏はウォール街のビルで保険代理店をしているビジネスマンで月曜から金曜までフルタイムで働き、週末は郊外の別荘で家族とゆっくり過ごすというNew Yorkのビジネスマンの夢を果たしたような人でした。
そのころの日本はバブル最盛期で、銀座の土地が1坪1億円という話がアメリカでも話題になっていたようで、隣の別荘が18エーカーで5000万で売りに出ているからお前が買わないか? 今の日本人なら買えるだろうと半ば本気で勧められました。New Yorkに別荘も悪くないなと思いましたが、週末に行くのはちょっと遠すぎるかなと思って止めました。
そこでもう一つ、それまでの人生観を変えられる経験をします。
別荘はとても静かで、周りも鳥の声が聞こえる以外音もしません。そこで家族は朝食を食べるとベランダのリクライニングチェアで日光浴を始めました。今日は一日ゆっくり日光浴をして夕食を食べて寝るのだと言います。エ~ッ! 何もしないのですか?? 裏庭には小さなショートホールでも出来そうな芝生もあるのに~!!
その頃の僕を含めた日本人は“24時間 働けますか! リゲイン、リゲイン!”と、コマーシャルが流行るほど活況でしたが、働いた分遊びもしなければ損とばかりに休日は朝からゴルフに行って、終わってまた仲間と飲みに行く、とにかく1分でもジッとしてるのは勿体ないと動き回っていましたから、一日中静かに日光浴するなど到底考えられない事でした。仕方なく日光浴に付き合ってデッキチェアに横になっていると、その内、気分がすごく楽になってきました。そうか! これがリラックスと言うのか。そしてまた明日から働く気力が養われるのだと気付かされました。
そこですっかり洗脳された僕は、日本に帰ってすぐにゴルフを辞めました。日曜日は裏庭にデッキチェアを出して日光浴をしながら本を読むという生活をしばらく続けていたら、山本舜治は気が狂ったぞ、といううわさが立ちました。=実に単純な人間であります。
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